序文
6月の下旬に1週間ほど、バリ島へ行っていたのですが、
帰国して数週間は、なんだか頭がぼうっとする日々で、
(しかも、長丁場でお腹を壊していたりして、、)
ようやく最近、心も身体も日本に帰ってきたような気がします。
バリ島で感じたこと、日本に帰って来て気づいたことを、
少しずつ、少しずつ想い出に変換しています。
そして、この旅の中で、(未熟ながら)感じたことを、
少しでもお裾分けが出来ればと思います。
バリ島の"気"
バリの雨量は6月の後半から少なくなってくる。
そして観光のハイシーズンには、未だ差し掛かっていない、
このタイミングの訪れがおすすめらしい。
バリの季節は、雨季と乾季の2つに分かれている。
春、夏、秋、冬、四季の概念が根幹にある四柱推命の知見は、
バリでは参考にならないかもしれない。
異国に来て、最初に触れる空気が、まず始めの体験になる。
日本の空気より、柔らかい。
そして、初めて来た気がしない。
肌に馴染む空気、風。
優しくて、柔らかい。
うん、好い感じ。
土地が発する気と、
植物や、動物や、人が発する温厚な気が、
空気を醸す。
さて、バリの旅。
始まり、始まり。
僕たちも動物
バリの街(と言うか、東南アジア)は、
動物たちが野放しに、垣根なく同居している。
ニワトリ、イヌ、サル、ネコ、様々なコトリたち、そして、ヒト。
街を歩いていると、家から、門から、角から、何が出てくるのか。
ちょっとポケットモンスターみたいで楽しい。
飼い犬ですら、首輪を付けてはいても、放し飼い。
その顔にはストレスが感じられなかった。
もちろん、狂犬病や鳥インフルエンザなど、野放しによる危険性は高い。
でも僕たちはもともと、同居していたのだ。
日本に帰ると、少しの寂しさを感じる。
東南アジアよりも「動物との距離」が、遠い。
次の曲がった角から何か出てこないかな。なんて。
今歩いている道は、かつては動物たちが悠々と闊歩していたのに。
そんな寂しい思いを抱きながら、日本を歩くようになりました。
バリの占い師
バリでは、宗教の中に"占い"が入っている。
この表現が正しいかどうかはわからないが、とにかく、
バリ・ヒンドゥー教の階位制度では、
占い師は「神様の声を聴くことの出来る」地位の高い仕事らしい。
バリの伝統的な(観光客相手ではない、現地の人たちだけを占う)
占い師は手相で観るらしい。
神様からの啓示を、手の皺を観て占う。
いつ結婚できるのか、
子供は何人授かることが出来るのか、
事業は成功するのか、
病気は治るのか、
人生の困難はどのように乗り越えるのか、
無宗教の僕がもし、「神様の声を聴く」
そんな風に占いをしたら空々しく聴こえるだろうけど、
バリの人から聞く占い師の話しや、神様たちのお話しは違和感がなく、
そしてとても暖かく感じた。