他人を意のままに操作するのは難しい。
しかし、自分の感情も意のままに操作することも、
これもまた難しいのである。
当たり前だが
予想外の出来事は、不意打ちで向かってくる。
それが悪い出来事だった場合は、最悪だ。
予期していた不穏な出来事も、
容赦無く人生に降り注いでくる。
予期し始めた時から嫌な気持ちは続き、
トドメを刺しにくる。
これもまた、最悪だ。
こういった場面において、
"占い"の効用は最大化する。
"出来事"と"感情"の狭間で、
"占い"は緩衝材として機能するのだ。
解りやすく図式化すると、
こういうことになる。
[出来事] → [感情]
"占い"の介在しない人生は、
何かが起きたら、ダイレクトに感情へ影響を及ぼす。
[幸運な出来事] → [嬉しい感情]
[不運な出来事] → [悲しい感情]
というように。
この直接的な影響の強さが、
精神的なダメージとなり、
感情の操舵が難しい要因となる。
そこに"占い"を介在させれば、
[不運な出来事] → [占い] → [悲しい感情]
この図式へと変化する。
大切なのはつまり、
[不運な出来事]と[悲しい感情]の間に、
ほんの数秒の空間を設けることが出来るのだ。
この数秒の時間がクッションとなり、
致命傷から回避できる確率が上がるのだ。
別軸で言い換えると、
出来事は"現実"であり、
感情も"現実"だ。
それに反して占いは"物語"だ。
占いのチカラは、
[現実(出来事)] → [現実(感情)]
の図式を、
[現実(出来事)] → [物語(占い)] → [現実(感情)]
に変換する。
ほんの少し物語の世界に入ることで、
少し強くなって現実に戻ることが出来るのだ。
しかし大切なのは、
[現実(出来事)] → [物語(占い)] → ×
物語で終着しないこと。
現実に帰って来ないと、
物語の森の中に迷い込んでしまうんだ。
しかしながら、
回復には時間を要する。
人それぞれの性質の違いや、
起こった出来事の大小など、
回復に必要な時間は一概には計ることが出来ない。
傷を癒す為には、
とにかく時間が掛かるのだ。
しかしながら、少しずつ訓練する。
そしていつの日か、
[出来事] → [冷静な思考] → [感情]
の図式が確固たるものになるように。
"占い"という思考ツールで訓練をする。
"類推"で少しずつ思考の守備範囲を広げていくんだ。
自転車が乗れるようになった時のように
きっといつの日か、
感情を少しずつ操舵出来るようになるのだろう。
自分の感情を操舵出来るのは、自分だけ。
蝕むものから自分を守るんだ。