僕は音楽が好きです。
そして「会話」も一つの音楽だと思っています。
畏れ多いことに、
話し声が良いとか、会話の呼吸、相槌のリズムが理想的とか、
時折お客様からお褒め頂くことがあります。
ありがとうございます。
(しかしながらその点に関して、確固たる自信を持っている訳ではありません。何故なら、会話の音楽には正解がなく、好き嫌いによる部分が大きいと思っています。そして何より、僕が努力して体系的に得た技術ではないので、殊更に自信を持ちづらい側面があります。)
もしそのように感じて頂くことがあるとすれば、
それはひとえに、
僕が「音楽好き」であることに繋がっていると思うのです。
お客様とお話しすると、
確かに、一緒に一つの音楽を演奏している感覚になることがあります。
きっと相手の音の響きやリズムに、僕が呼応しているのかもしれません。(それは勿論、お互いに。)
その際に、
音楽が好きで、静かな音楽も、華やかな音楽も、様々な音楽を聴いてきた経験が活きているのかもしれません。(加えれば、音楽演奏経験があることも。)
そしていつも思うのは、
お客さんの「"本当の音"が聴きたい」ということ。
更にそれは、「本音が聴きたい。」という言い換えも出来そうです。
でも困ったことに、一人の人間の中には様々な側面が含まれているように、
本音にも様々な種類が含まれているのです。
「何の努力もせずに、億万長者・有名人になりてえ〜」とか、
「家でずーっとYoutubeを見て、一生ダラダラ過ごしてえ〜」とか。
むしろこんな風な本音の方が、根源的な欲求に近いかもしれません。
しかしながら、この類の本音を聴いても、何にも進展しない笑
「うんうん。わかるー。」で話が終わっちゃいます。
(例外的に、時には進展しないことが大事な局面もあります。療養中とか。)
どちらかと言うと僕が聴きたい本音は、
社会と個人の間で揺れ動いているような類のもの。
時には負けてしまう気持ちのようなもの。
しかしそれでも、立ち上がりたい意志のようなもの。
そういう本当の音をお聴かせ頂けると、
この音楽を一緒に鳴らすのは僕の仕事ですね。
音を鳴らして、楽しみましょう。
音を鳴らして、少し気楽になりましょう。
と、火が灯るのです。