「美しいものを見ると、瞳孔が開く。」
あるいは美しい音、
美しい瞬間に立ち会った場合においても、
心(の瞳孔)は開く。
美しさの基準や、
なぜ美しいものを見ることで心地良くなるのか、
学者や批評家が講釈を垂れている間に、
みるみるうちに「美しさ」は(僕たちの心の中から)失われていくので、
今はそんなことはどうでも良い。
「とにかく、美しいものは僕らの心を動かすのだ。」
しかし、美しいものが僕らにもたらす心の動きは、
手放しにポジティブな感情だけとは限らない。
本当に心を打つ作品に出会ったしまった時。
とりわけ大きな感動と、
(同じ生き物として、自分の替わりに)偉業を成し遂げてもらった多大な感謝の、
その陰に、
膨大に膨らんだ羨望が無意識を覆う。
現代の街には、
ものすごく高い精度の完成品が夥しく立ち並ぶ。
感動と同時に傷を負った僕たちは、
日に日にハードルが高くなる社会の完成度に、
立ち止まってしまう。
「発表する時には、完成度の高さが必要だ。」
「自分には、とても作れない。」
美しいものはとても鋭い、鋭利な側面も併せ持つ。
なぜなら美しい作品の過程は、「選択」を何度も繰り返す。
つまり、膨大に選ばれなかったものの集積の上に成り立つのだ。
厳しい取捨選択の末に、鋭さが育まれるのだ。
その鋭さに、
手の中に持った自分が選んできたものとの違いに唖然とする。
そして絶望的なことに、
今まで賞賛されていた作品は、
新たな作品によって塗り替えられていく。
肯定と否定が入り混じった前進によって。
近年、完成度の高い作品を見たり、
聞いたりすることが苦痛になっている声が散見される。
同時に機械化も進む社会では、
人間の自信が失われる速度が加速する。
およそ強い自責の念は、
この「八方塞がり感」が端を発しているように、僕は感じている。
でも、諦めないで欲しい。
というか、侮らないで欲しい。
「僕たちが何かを生み出したい意欲の根源の大きさ」を侮らないで欲しい。
鳥たちが臆することなく歌うように。
技術も資格も要らない。
他人の完成度に怯える必要もない。
褒められることを望まなくていい。
お金が稼げなくていい。
恥ずかしがらなくていい。
「やりたいこと」に心が動いた瞬間の、
素直な気持ちに従うべきだと、僕は思う。
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ということを最近強く思うことが多いので、
暗号のような、ものすごくわかりにくい文章ですが、
率直に書かずにはいられませんでした。
完成度の高い社会に風穴を開けてくれているのが
高木正勝さんであり、河井美咲さんであり、坂口恭平さんだと思っています。
ちなみに坂口さんの新しい音楽集が発表されたので、ぜひ聴いてみてください。
咳とか、電話の音とか、失敗もそのまま収録されていて、肩のチカラが抜ける良い歌です。
ちなみに7曲目の「味方」は、僕のために作って頂いた曲なのです!
占い師ミカタの公式テーマソングです。^^